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2008年9月22日 (月)

朗読「走れメロス」を見て…

 
「走れメロス」
 
太宰治の名作小説にして、あまりにも有名な作品です。
 
昨晩の興奮さめやらぬ朝。
早速、小説を買いました。
 
内容は知っています。
ストーリーも、結末も。
小学校、中学校の国語の題材にもなりました。
 
 
それなのに。
 
 
この作品が、こんな形で自分の心の中に衝撃というか、爪痕のようなものを残していくとは…。
上手く言えませんが、昨晩の朗読からは、それ程の衝撃を受けました。
 
 
演じたのは、81プロデュース所属の三宅健太先輩です。
 
 
先輩の表現を見た方は口々に言います。
 
 
 
「凄い」
 
 
 
どう凄いのか聞いても、表現から何から、とにかく凄いのだと…圧倒された表情や、興奮した様子で話をされます。
 
 
ずっとずっと、話に聞き続け、ずっとずっと、生で先輩の朗読を聞きたいと思っていました。
 
そんな折り、有り難いことに、朗読でお世話になった向井真理子先生から「語り魔」の朗読会、ご招待のお電話をいただきました。
 
前半の会。
後半の会。
 
両方を観劇し、両方で先輩のメロスを見ました。
 
 
音響なし。セットなし。
衣装は黒の上下。
ピンスポット一つの世界。
 
 
そこに、メロスがいました。
 
メロスの世界があり、メロスが生き、民が生き、世界や時間が生々しく蠢いていました。
 
 
役を演じるということは、その役の人生の一部を切り取って表現することだと、感情開放の授業で学びました。
 
そのことを再び認識させられました。
 
なぜメロスがここまで走るのか。
気が狂うほどに錯乱して、それでも刑場にやってきたのか。
 
 
一読しただけでは理解しがたい矛盾というか、乗り切れない気持ちを全て納得させられてしまう圧倒的な表現力。
 
パワー。
 
イメージの深さ。
 
世界中探しても、先輩にしか出来ないメロス。
 
 
後半にかけての盛り上がりは元より、中盤のメロスの生き延びたい気持ちと、友の信頼に報いたい気持ちとで狂乱して行く様は、たまりませんでした。
 
小説の人物が生きている。
そう感じました。
 
同じように苦しく思ったせめぎあう気持ちを思い出して、涙が止まりませんでした。
 
 
どんなに極端でも、どんなに常軌を逸した行動でも、役だから奇抜になっていい訳じゃない。
 
血の通った同じ人間になって初めて、それはリアルに観客に伝わるのだと実感しました。
 
生身の人間そのものに思えるまで、役を愛して理解して表現して初めて演じることになるのだと、改めて思いました。
 
 
人を理解したいと思うように、もっと役を人間として受け入れて、理解したいと思いました。
 
 
刺激をいただけた事に喜びもありますが、歯痒さや悔しさの方が大きい気がします。
 
今の自分に腹立たしいというか、もっともっと表現したくてたまらないというか。
 
たまに表現したい気持ちが爆発してしまって、「声に出して読みたい日本語」を全章ガーっと朗読したり、歌ったり、踊ったり、それはもう大騒ぎしてしまう時があります(笑)
 
根っからそういったことが染み付いていて、少しでも琴線に触れたりすると、どうしようもない衝動にかられます。
 
今また、その気持ちがメーターを振り切ってしまったようです!!
 
この気持ちを次に繋げられるように、沢山の表現に活かせるようにしたいと思います(m'□'m)
 
 

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